4月 11 2011

あれから1ヶ月、海の向こうで思うこと。

あの日の朝、いつも通り起きて朝食を用意し、主人が食べてる横でお茶を飲みながらぼーっとテレビのニュースを見ていたら、突然速報が飛び込んできた。「strong earthquake hit off the east coast of Japan」。日本の大震災のニュースだった。その2日前の朝、三陸沖地震のニュースをみながら「これ以上の大きいのがこなければいいけど...」と主人が言い、「縁起が悪いこと言わないで」と私は返した。しかし、主人の心配が本当のこととなってしまった3月11日。

すぐに頭に浮かんだのは仙台に住む義姉のご両親だった。身体の中にものすごい緊張が走った。追い打ちをかけるように、ご両親が住む地の被害映像がテレビに流れた。「生きていてくれ」と心の底から祈り続けた。そして大丈夫とは思いながらも、千葉に住む母との不通は不安をより一層増大させた。海外からよりも繋がりやすいだろうと、大勢の友人も電話をかけ続けてくれた。何も喉を通らず、一睡もしないまま不安な一夜を明かした。最初に無事が確認できたのは仙台のご両親だった。続けて母の無事も確認できた。思わず床に座り込んでしまった。発生から27時間後のことだった。

家族や友人から離れて暮らすということがどういうことなのか、分かってるつもりで実は分かっていなかったように思う。今回の震災でそれを嫌というほど痛感した。日本が震え、泣いている時になぜ自分はここにいるのだろうと、やりきれない思いに胸が張り裂けそうだった。今でもそれは同じだ。

あれから1ヶ月。何をしてもどこにいても時間は流れる。先日、ある地でタクシーを利用した。下りる時にチップを含め料金を支払ったら、運転手の方がこう言った。「ぼくにくれるこのチップをどうか日本の為に使ってください」と。「僅かだけど・・・」と照れ笑いするその方に、大きな大きな愛を感じた。有り難く受け取り、義援金という形で日本に送らせていただいた。

国外にいても自分に何ができるかを毎日考えている。テレビから流れる目を覆いたくなる映像に震え、泣き続けたが、今は震災の爪痕を映す映像や写真は極力見るのを避けている。先日の大きな余震で、仙台のご両親はまた避難所生活が続いている。義姉はそんなご両親の状況に深く心を痛めながら、いまだなお安否が分からない友人を探し続けている。私が落ち込んでいる場合ではないのだ。せめて義姉の心が折れてしまわないよう、ほんの少しでも彼女の支えになれればと思っている。そして、続いてる余震がおさまることと原発事故の早急な収束を強く願い、被災者の方々の健康と、一日でも早く心と体が休まる日がくることを、心の底から祈り続けたい。

「無縁社会」の広がりが懸念されている日本社会。だが、戦後最大といわれる危機に直面した現在の日本を支えている大きな1つは、温かな「人と人とのつながり」ではないだろうか。そしてその「つながり」こそ「希望」が生まれる源ではないだろうか。海の向こうから見る日本はやはり気高く、強く、そして美しい。私の愛する国は必ず前進し、復興する。

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カテゴリー: 考えたこと | 2件のコメント
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